【八日目の蝉 (中公文庫/角田 光代)】逃げた先にある希望のかたち
八日目の蝉、映画化もしている有名な作品だ。
あらすじを一言でいうと、愛人が正妻の子どもを誘拐して逃げる話、となる。
これだけでは暗い話なのかと思うだろうが、意外にも後味はすっきりなので、安心してほしい。
主人公・希和子はどこでもいる、というよりはどちらかというと育ちの良さそうなOLなのだが、
彼女は端からみるとくだらない男に引っかかり、不倫関係に陥る。
私からすると、不倫は進んで二番手に甘んじにいくことであり、
いわば自分を自分で投げ売りしているような話で、
それなりの自尊心があるとあまりしないことのように思っている。
ただ、美人の友人が意外にも不倫していたりするのをみるので、
ちやほやされるのに飽きた人は、「自分を軽く扱う男」に新鮮さを覚えてしまうのかもしれない。
ともかく、希和子はそういう浮ついた新鮮さに惹かれたわけではなく、
真っ当に恋愛して、愛人になってしまったらしい。
このあたりの事情は徐々に明かされていくのだが、読めば読むほど、希和子がかわいそうで、相手がロクでもない男だなあとしか思えなくなる。
でも、そのあたりの話は正直どうでもよくて、とにかく希和子が誘拐した「薫」と、
自分の堕胎してしまった(させられた)子どもを重ねあわせて、
子どもを育てることの幸福を味わうのがメインディッシュだ。
私は独身でまだ子育てを経験していないし、社会的に子育てに何か貢献したこともない。
育てられた側としての記憶が強く、子どもを抱いた瞬間の母性みたいなものは想像の範疇でしかない。
それでも、子どもを通して、お尋ね者の希和子ですら社会との細い糸のようなつながりを持てるのは、希望のある社会だなと思う。
とくに希和子が最後にたどり着く小豆島での近所の人々との交流は、最後まで一筋の光になっている。
最後まで読んだあとに、瀬戸内海のきらきらした水面が眼裏に浮かぶような、
そんな爽やかな作品だった。